第十話
 教会の庭で一人の女が木にもたれ掛かっていた。腹部にナイフが刺さり、出血している。ナイトホークだった。
「素人同然と思っていたけど、やはり二人相手には無理だったらしいわね」
 彼女らの実力からすれば、確かにタイラー達は見下す程度だった。ハウンドは昼間に二人に対して襲撃をかけて失敗したが、夜間なら勝てると彼女は思っていた。実際ハウンドも、もう少しでタイラーを倒せていたのだ。
「さて、そろそろ来るでしょうね」
 彼女は右手でタイラーが刺したサバイバルナイフを掴み、力を込めて引き抜いた。そしてスタンロッドをオーバーヒートさせ、傷に当てる。
「ア゛ア゛ッ!」
 ナイトホークは熱さに耐えきれず声を上げた。
「そこか……!」
 タイラーは彼女の声を聞き逃さなかった。すぐにショットガンを構えて発射する。と、その銃身がナイトホークの脚に払われた。
「何!?」
「遅いわよ!」
 再びナイトホークに銃を向けようとしたが、それまでに懐に飛び込まれた。加熱されたスタンロッドが彼の銃を真っ二つに切断する。
「嘘だろ……」
 次の瞬間にはタイラーの腹部に手が当てられ、彼の体は半回転して地面に叩きつけられた。
「ぐはぁッ!」
「情けないわね」
 ナイトホークはタイラーのものであったサバイバルナイフを振りかざした。
「彼の分を償ってもらうわよ!」
 ナイフがタイラーの喉目掛けて振り下ろされたが、タイラーは頭に鉢巻のように巻いていたバンダナでその一撃を受け止めた。
「往生際が悪いわよ!」
 彼女はもう片方の手でスタンロッドを抜き、タイラーの胸目掛けて突きつけた。だが、ただ彼の体に当たっただけだった。バッテリーが放電し切っていたのだ。
 ナイトホークはそれを捨て、ナイフに全体重を掛けて押し始めた。
「終わりにさせてもらうわよ……」
 熱して癒着させただけの傷がまた開き、出血し始めていた。
「その傷では無理だ。諦めろ」
 タイラーは鼻先まで突き付けられたナイフを必死に止めながら言った。バンダナの布が少しずつ破けて来ている。
「冗談じゃないわよ!」
 さらに力が強まった。バンダナが今にも切れそうになっている。
「これが最後だ。諦めて投降しろ……さもなくば殺す」
「うるさい!死ねぇッ!」
 バンダナが破れ、ナイフが振り下ろされた。だが、タイラーはその前に彼女の傷の上を膝で蹴り上げた。その痛みによって狙いが逸れ、刃は彼の頬に傷をつけるだけに留まった。「許せ」
 タイラーの手がナイトホークの首を一瞬のうちにかすめた。
「ア……」
 ナイトホークは驚いたような表情のまま硬直したが、すぐにその首から大量に出血し始め、その体が崩れ落ちた。
 タイラーの手には暗殺用の剃刀が持たれていた。バンダナに隠していたものだった。
 大量の血を浴びながら、彼は剃刀を落とし、もう一度同じ言葉を呟いた。
「許してくれ……」

「うおおおおお!」
 怒りに満ちた雄たけびが空から聞こえ、タイラーは上を見上げた。コウモリのような影が夜空に浮かんでいたのが見えたが、直後にそれが接近して来た。
「まずい!」
 そう直感し、タイラーはすぐに横に飛び退いた。そこにコウモリの羽がかなりの速度で激突した。土煙が舞い、辺りの木がなぎ倒される。
 コウモリの羽が畳まれ、そこには黒いトレンチコートを着た若い男が残った。
「よくも……」
 男の手には二振りの日本刀が握られていた。
「よくも俺の仲間を……!」
 男の目がギロリとタイラーを睨みつける。これまで何度も死線をくぐり抜けて来たタイラーでさえ、一瞬たじろいた。そして慌ててナイフを拾い、構えた。
「許さない……許さないぞ!」
 刀の一本がタイラーの脳天に振り下ろされた。とタイラーの腹部めがけて水平に刃が振られる。タイラーは縦に振られた方を間一髪でかわし、水平に振られた方をナイフで受け止めた。
「フンッ!」
 かわされた方の刀を返し、タイラーの首を狙う。ナイフで止めた刀を振り払い、彼は後ろに倒れてどうにか避けた。
 仰向けの状態から慌てて立ち上がり、ナイフを構える。だが、そのナイフは刃の部分が切られ、半分ほどの長さになっていた。
「クソッ!」
 タイラーはナイフを持ち直し、男の首めがけて投げつけた。それを一本の刀で縦に真っ二つにし、もう一本がタイラーに襲いかかる。が、タイラーは男の側面に回ってその背中を蹴りつけた。
「ウッ……」
 男はよろめいたが、すぐに振り返って構えた。タイラーも刀の届かない位置まで飛び退く。
「お前もフォックスハウンドか!」
「コードネーム、フライングフォックス。格地雷設置、並びにドーベルマン討伐部隊、最後の生き残り……」
 そう言ってフォックスはタイラーの方を向いた。
「ドーベルマン、どうして俺達の邪魔をする」
「日本は俺が生まれた国だ。その国の領土が核攻撃を受けるのを黙って見ている訳にはいかない」
「それだけしか知らされていなかったのか?お前達は」
「それがMSFからの情報だ」
「MSF……?他の三人が言っていたが、なるほど、そういう事か」
 フォックスはそう言って鼻で笑った。
「どういう事だ!」
「貴様らは人形だという事だよ」
「!?」
「もう俺達の邪魔をするな。次は殺す」
 フォックスはそう言うと、刀を鞘に戻した。そしてその羽を広げる。
「……ッ!待て!」
 タイラーは片手を伸ばしたが、衝撃波に吹き飛ばされ、真後ろの木に叩きつけられた。次の瞬間にはフォックスはナイトホークの亡骸を抱えて飛び去ってしまった。
「クッ……」
 タイラーは後頭部を強打し、意識が朦朧としていた。
「畜……生……」
 オートバイの走る音が聞こえた気がするし、警察車両のけたたましいサイレンも聞こえた気がした。コルトの叫び声も聞いたと思う。タイラーの意識は遠退き、そしてブラックアウトした。

 目が覚めると彼は狭いサイドカーの中に座っていた。左を見ると、コルトがオートバイの傍らで煙草を吸っている。
 腕の中が暖かかった。下を向くとアニタが腕の中に居た。意識を失っているのか、或いは眠っているのだろう。
「コルト……ここはどこだ?」
 タイラーはコルトに向かって言った。
「ああ、タイラー。目が覚めたのか。もう心配無いぞ」
 コルトは振り返って言った。
「お前が行った後MSFから連絡があって……」

 タイラーが窓から飛び出した直後、彼の無線機に連絡が入った。インカムを装着し、アニタの体を一旦ベッドに乗せてから応答する。
「こちらドーベルマン。今大変な事に……」
「大変だ!奴らが例の部隊を呼び戻しているようだ。お前達を生かしたまま作戦を決行するつもりらしい」
「だが、残りはあと二人だけだ。それに、一人は深手を負っている。もう長くは……」
「最後の一人、フライングフォックスのデータを漁った。奴ならやってのけるだろう」
「となると、俺達もかの国へ飛ぶ事になる訳か……」
「民間の船を使う。信用出来る人間だから安心しろ。出発地点は少し遠いが、どうにか移動してくれ……」
 通信の相手がその位置を言い終えた時、サイレンの音が聞こえて来た。
「まずい!通信を終了する!」
 どうやら先ほどの騒ぎを近隣住民に聞かれてしまったらしい。急いで脱出する必要がある。
 コルトはインカムを外すと、無線機に小さなC4爆弾を設置した。数十分後に小規模な爆発が起こるようにセットする。
「どうしよう、どうしたらいい……?」
 ベッドまで戻ってアニタを背負い、階段を駆け下りた。銃をベルトに差してポケットから鍵を出し、出入り口のドアを蹴り開けてガレージを目指す。
「軽自動車では逃げ切れないだろうが、“アイツ”ならいける……!」
 ガレージの前まで走り、急いでシャッターを開け、軽自動車の脇に止めてあったサイドカー付きのオートバイに走り寄った。
「吐くなよ?お嬢さん」
 そう言って意識を失ったままのアニタに言って、サイドカーに乗せる。
「久し振りの出番だぞ、ポンコツ!」
 コルトはそう言うとオートバイに飛び乗り、エンジンをかけた。
 そのバイクはインディアン・モーターサイクル社製のスカウト101だった。32年前に製造中止になった、彼の言うとおり骨董品と言って良いバイクだ。
 だが17年前、より古いモデルである1920年型スカウトを、ある高齢ライダーが改造し、時速295kmという速度で走行した。これは世界最速となる。
 コルトは十年ほど前、空軍に入隊してしばらくした頃に、この排気量750ccのスカウト101を購入した。それ以来、可能な限り維持に努めて来た。
「サイレンの音が近付いて来てるな……急いでタイラーを迎えに行かなければ」
 ギアを入れ、半クラッチから少しずつスロットルを開き、余裕を持って発進する。単車とは訳が違う。サイドカーではよりスムーズで安全な運転が求められる。
「さて、行くか」
 コルトはC4爆弾の爆発を背に、加速し始めた。

「その後俺を乗せ、大急ぎでここまで来た訳か」
 タイラーはコルトが自動販売機で買って来たコーヒーを彼の隣で啜りながら言った。
「あー、そのつもりだったんだが、警察車両もどういう訳かすぐに引き返していった。何処かから圧力が掛かったんだろうが、まぁお陰でゆっくり久し振りのライディングを楽しませて貰ったよ」
「で、船の来る時刻までは?」
「あと二時間ぐらいだな。ゆっくり待とう」
 コルトは煙草を携帯灰皿に捨てた。隣でタイラーはインディアン・スカウト101を見ていた。先ほどコルトが話しながらサイドカーを外していた。
「なぁ、コルト。いいバイクだな」
「世界最速になれるかもしれないバイクだよ。そもそもこれを作ったインディアンモトサイクルは……」
「乗らせ……」
「駄目!」
 コルトは勝手にバイクに跨ろうとしたタイラーの手を引き戻した。
「良いじゃないか、減るものじゃないだろ」
「お前が乗ったら三秒でクズ鉄になっちまう」
「それは……」
「日本に着いたらスーパーカブ買ってやるから我慢してくれ」
「そろそろマニュアル・トランスミッションのマシンにも乗ってみたいなぁ……」
 タイラーはスカウトのクラッチレバーを見て言った。
「お前には絶対にお勧めしないが……まぁ、50ccぐらいなら不用意にウィリーしても程度は知れてるか。何か探しておこう」
「有難い」
「ああ、それと……」
 コルトは思い出したような素振りを見せて言った。だが、本当は最初に話そうとして離せなかった事だった。
「お前が眠っている間に通信が入ったんだが……」
「何だ、顔色が悪いぞ?」
 心配するタイラーを無視してコルトは言った。
「アルとジェニーが連絡員として合流するそうだ」

 タイラーの手から紙コップが落ちた。
 遠くから船の汽笛の音がする。